クリーク奮闘記 終結

中央アメリカ征服後

中央アメリカ征服後、クリークは親仏派が相も変わらず実権を握っていた。そして気づいてみれば後のカナダ領や南米のほとんどがフランス領になっていて、大フランス帝国が完成していた。その領土は非常に広く、インドは勿論、東南アジアまで勢力を誇っていた。

この頃になると反仏派は完全に少数派になっていた。反仏的行動を起こせば絶対的軍事力を持つフランスから攻められるのが目に見えている。なので実力行動はほとんど行われず、衰退したのだった。

また、フランスの影響か国民の中には少しずつキリスト教への改宗が行われるようになっていった。(ただし、国教はあくまでもアニミズム)

アフリカへの遠征

上も下もフランスに囲まれたクリークは新たな領土を欲し、アフリカへ渡ることを決意した。しかし、すでにアフリカは西洋の国々と現住民族の国とが所狭しとあり、つけいる隙はなかった。

クリークはあきらめきれず、現住民族の一つナタールへと宣戦布告することになる(アフリカ出兵)。

この戦争は8年続き、従事した兵士は5万人に上る。

そのうち戦死者数は1万人という損耗率20%という多大な被害を生んだ。

この戦死者の多く(9000人近く)はクリークからナタールへと征くと中の船の難破によって無くなっている。途中に寄航する場所が無く、行き当たりばったりの戦略だったためだ。(後期には航海術の完成度も高まり、難破してしまうこともなくなった)

この戦争によって喜望峰に近いナタール領を割譲させ、さらにアダルを属国にすることに成功した。

独立運動の機運

南アフリカに領土を手に入れた後、新大陸では新たなる風雲を告げていた。

それはアメリカ独立未遂戦争が勃発したのだ。東海岸の州(旧フランス植民地領)が一斉に蜂起した事件である。このとき、クリーク軍は敗退を重ね、独立がなるかというところまで行ったが、フランス軍の協力により反乱軍は次々に撃砕されて独立はなされることはなかった。

また、中央アメリカでも独立運動(中央アメリカとメキシコ)が起こったが、こちらは元々の原住民達の反乱であり、そんなに強力でもなく即座に鎮圧され、やはり独立することはなかった。

終わりに(感想なので読まなくてもいいです)

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