クリーク奮闘記 長き平穏

長き平穏

ショーリーを併合してもはや敵はいなくなったため、内政へと目を向けることとなった。

だが旧ショーリー領と旧チェロキー領内では反乱が連続で起こっていた。

鎮圧しては再度起こる。

時間が解決するであろう事ではあるがそのために軍隊を解体することは不可能であった。

しかし、1472年を境に反乱の数が激減する事となる。

それはラモチャッティ一世が死去し、ラモチャッティ二世が即位したからだ。

彼は行政能力の優れた人間であり、懐柔政策を行ったのだ。

そのためそれまでの組織だっての反乱が不可能となり個々で独立した形でしか行えなくなってしまったのだ。 そして反乱はなくなっていった。

1471年6月1日、CUZCO(南米)を発見する。

1480年、統治形態が部族独裁制へと移行する。

1488年、ALABAMAに貿易センターを開設。

同年、教皇領に市場を開放する。

1491年、TIAHAで減税を求め農民と一触即発状態になる。減税をすることで暴発を阻止することに成功した。

1496年、インカの貿易の地COZCOの市場が開放される。

1498年、ついに西洋の国フランスがクリークと隣接する州に植民地を作り始めた。

そろそろ平穏が崩れ去るときが近づいているようである。

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