クリーク奮闘記 1459~1460 ショーリー侵略戦争

1459~1460 ショーリー侵略戦争

1459年10月2日、クリークは宣戦布告へと踏み切った。

クリーク軍はTENNESSEEに第二臨時部隊3000(傭兵)、TUSKEGEEに第一部隊(正規部隊2000+傭兵部隊1000)、CHEROKEEに第三臨時部隊3000(傭兵)の計9000人に対してショーリー軍はPENNYRALEに6000という配置であった。

クリーク軍はTUSKEGEEにいる第一部隊がSHAWNEEへ侵攻し、無血制圧した。また、臨時第三部隊もCUMBERLANDへ侵攻した。

その後、第一部隊はTENNESSEEにいた第二臨時部隊とあわせて敵部隊6000人が守備をしているPENNYRALEへと侵攻開始し、制圧に成功した。

第一、第二共同部隊は勢いに乗じてKENTUCKYも奪取した。

第一・第二共同部隊がWLAへ第三部隊はCUMBERLANDからOHIOへと侵攻を開始した直後、旧チェロキー領CHIAHAで反乱が起こった。

ショーリーによる攪乱作戦であると見抜いたクリーク軍は臨時に傭兵部隊をMUSKOGEEで結成し、鎮圧に当たらせた。

そして本部隊たちはそのまま制圧を敢行し、チェロキーに引き続いて完全併合を行った。

これによってショーリー侵略戦争はショーリー消滅によって幕を閉じた。

余談ではあるがショーニーはクリークの主要な文化の一つして迎え入れられることとなった。

Previous NEXT

クリーク奮闘記 1459~1460 ショーリー侵略戦争」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: クリーク奮闘記 不穏な動き | 遊軍的家

  2. ピンバック: クリーク奮闘記 長き平穏 | 遊軍的家

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です